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◆昨年限りで現役を引退した山中敦史 パラグアイから始まった海外挑戦

 中南米を舞台にプロサッカー選手として挑戦を続け、2018年にスパイクを脱いだ日本人選手がいる。日本代表MF柴崎岳や同MF宇佐美貴史と同学年の、1992年生まれの26歳DF山中敦史。主に左サイドバックとしてプレーし、中学時代はガンバ大阪の門真ジュニアユースに所属していた。高校時代は地元大阪の枚方のクラブチームでプレーを続け、大学進学後は大阪府リーグの社会人チームでプレーしていた。だが、大学を1年で中退。アルバイトをしてお金を貯め、パラグアイへと飛び立った。

「ガンバのジュニアユース時代には、ほかの選手よりも上手くなくて、人一倍練習していました。とにかく毎日が必死でした。当時は海外に行くことは考えていなかった。でも大学に進学し、本当に自分がやりたいことはなんだろうと考えた時、小さい頃からプロサッカー選手になりたかったという夢が捨てきれなかった。それなら、思い切ってチャレンジしてみようと思ったんです」

 大学に進学した2011年。テレビでコパ・アメリカ(南米選手権)の試合を見て、個人技のレベルが高い南米サッカーの虜になった。

「当時、パラグアイが強くて、コパ・アメリカでも決勝まで行った。華麗なサッカーではないけれど、強いサッカーに魅了されたんです」

 パラグアイは同大会で、ブラジル、ベネズエラ、エクアドルと同組だったグループリーグを、3引き分けの3位で決勝トーナメントに進出。準々決勝でブラジル、準決勝でベネズエラを0-0のPK戦の末に下した。決勝はウルグアイに0-3で敗れたが、山中にとって前年の南アフリカ・ワールドカップ(W杯)でも決勝トーナメント1回戦で日本をPK戦で破って8強に進出するなど、FWロケ・サンタクルスを中心としたパラグアイのサッカーが頭から離れなかった。大学を中退した山中は、迷うことなくパラグアイ行きを決意。サッカー留学機関を通じ、地球の裏側へと飛び立った。

 最初にぶつかったのは言葉の壁だった。スペイン語を公用語とするパラグアイ。パラグアイリーグ4部のクラブ・アトレティコ・フベントゥに所属することになった山中だったが、「日本とはサッカーが違うし、監督が言っていることも分からない。ホームシックにはならなかったけど、戸惑いはありました」と当時を振り返る。

◆アジア人として味わった「差別」 賄賂によってベンチ外の経験も…

「日本ではウォーミングアップ、ボール回し、シュート練習を経て紅白戦になる。でもパラグアイではシュート練習などはなく、アップをしたらすぐに紅白戦。練習から実戦的なメニューでした」

 アトレティコ・フベントゥでは、アマチュア選手として2012年の1年間プレー。左サイドバックとして定位置をつかみ、ほぼ全試合にフル出場。スペイン語も上達し、自信をつけた山中は翌13年、2部のヘネラル・カバジェロに移籍した。選手の質も上がり、チームメートには07年に南米年間最優秀選手に選ばれたこともある元パラグアイ代表FWサルバドール・カバニャスもいた。

 といってもチームはセミプロで、給料は時々わずかな勝利給が出るほか、軽食が提供される程度。それでも、相手との駆け引きや判断の早さなど、新天地で新たな経験を積んだ。

 だが、シーズン途中で監督が代わると山中はベンチ外の日々が続いた。すでに監督や選手ともコミュニケーションを問題なく取れるようになっていたが、監督から下された結論は「練習には出てもいいが、試合では使わない」という非情なものだった。

 山中は出場機会を求め、同じパラグアイ2部のリーベル・プレート(アルゼンチンの名門リーベル・プレートとは別のチーム)に移籍。ここでも、紅白戦ではレギュラー組で結果を残しても、試合ではベンチ外が続いた。監督と親しい選手の親が監督に金を握らせ、息子が出番をもらえるよう裏で動いていたからだった。その額は500~600ドル(約5万5000円~6万6000円)ほどだったという。

「自分は監督に賄賂を払って出場機会を得るというのは絶対に嫌だった」

 山中は半年でリーベル・プレートに見切りを付け、同じ2部のインデペンディエンテに移籍。だが、ここでもなかなか試合で出番を得ることはできなかった。

「アジア人だとどうしてもサッカーで下に見られてしまう。練習でいくら頑張ってもダメ。差別を感じた」

◆親身になった元パラグアイ代表DFの助言 「北中米カリブ海はどうだ?」

 そんな時、相談に乗ってくれたのが元パラグアイ代表のDFデニス・カニサだった。国内1部リーグを観戦に行き、仲良くなったカニサが教えてくれたのは「パラグアイでは球際が大事。1対1では絶対に負けるな」ということだった。

 パラグアイのサイドバックはブラジルとは違って攻撃に上がることが少なく、守備的な選手が多い。戦術も守備に重点を置いており、両サイドバックは攻撃には参加せず、4人で守れという指示をする指揮官も多かったという。だが、2部以下のリーグでは監督が賄賂をもらってメンバーを決めるなど、お金に汚いチームも珍しくなく、リーグとして腐敗しているという現実も教えられ、山中は心に決めた。

「パラグアイにはいないタイプの攻撃的なサイドバックとして勝負しよう」

 攻撃的サイドバックは監督によって好き嫌いがあり、時に評価されないこともある。それでも、それまでは攻撃に参加するか迷いが出ることもあったが、その後は躊躇なく攻撃参加できるようになったという。

「パラグアイのサッカーは南米のほかの国と違って華麗なサッカーではない。ボランチには試合を組み立てるような選手はおらず、相手エースFWを止めるのが役割。つなぐサッカーではなく、前に蹴ってFWに当てて、そこからセンタリングか2列目がシュートというリアクションサッカー。だからセンターバックとFWに強い選手が生まれやすく、FWはポストプレーが上手い選手が多い。一方で中盤はプレーが粗い選手ばかり」

 当時のパラグアイは代表チームだけでなく、1部の各チームも4バックがほとんどで、両サイドの選手が積極的に攻撃参加する3バックのシステムを採用するチームはあまりなかった。そして「一度、違う国や大陸でやってみるのもいいんじゃないか? お前はスペイン語が話せるから北中米カリブ海はどうだ?」というカニサの言葉が山中を動かした。

 インターネットで調べると、ちょうどドミニカ共和国で15年にリーグがプロ化されるというニュースを目にし、心が動いた。

◆ドミニカ共和国のサッカー史に「アジア人初ゴール」で名を刻んだが…

 何もつてがなかった山中は、ドミニカ共和国のサッカー協会に自らメールを送り、1部のアトレチコ・サンクリストバルというチームに練習生として参加できることが決定。現地在住の日本人に頼み込んで寝場所を確保し、首都サントドミンゴからバスで練習に通う日々が始まった。

 選手兼任コーチにはかつてセリエAで中村俊輔(現・ジュビロ磐田)や長友佑都(現・ガラタサライ)、森本貴幸(現・アビスパ福岡)ともプレーしたことがあるというイタリア人もいた。だが、開幕までの2カ月の間に監督がクラブと金銭面で折り合いがつかず、2度も交代するハプニング。それでも山中は契約を勝ち取ると、開幕2戦目で念願のゴールを決めた。翌日の地元紙には「ドミニカ共和国で初めてゴールを決めたアジア人」として大きく取り上げられたという。

「スタンドもほぼ満員だったし、ドミニカサッカーの歴史に名を刻むことができて嬉しかった。日本は中国の中の一部の都市だと思っている人も多かったし、世界地図を見せたら『日本は小さい国だな』と言われてバカにされていたけど、あのゴールは今でも誇りに思います」

 だが、ドミニカ共和国でも不可解なことが起こった。出場機会を得て軌道に乗り始めたかと思った矢先のこと。それまで出場機会がなかったエクアドル人選手の代理人がチームを訪れ、山中を外すよう要求。山中は突然、練習にも参加できなくなり、退団が通達された。

「僕が契約書だと言われてサインしていた書類は、実は正式なものではなかったんです。確かに文章も曖昧だったし、契約金も書かれていなかった。騙されました。クラブはビザの手続きもちゃんとしてくれていなくて、出国の際にお前が罰金を払ったほうが安く済むと言われました」

 結局、手にできたのは勝利給だけ。プロ化したばかりの同国リーグは、実情はまだまだプロのリーグではなかった。生活はほかの助っ人選手らとの共同生活だったが、提供される食事も油ものばかりで、時にフライドポテトだけだったりと、スポーツ選手としての栄養面がまったく考慮されていないものだった。

 また、チームが彼らに与えた部屋は危険なエリアにあり、機関銃を持った警備員が常駐。実際に近所で銃撃戦が起こったこともあった。「今、外に出たら死ぬよ」と言われ、翌朝外に出てみると、両手を縛られ、撃たれて殺された男が血を流して道に転がっていた。パラグアイではピストルを何度も見たことがあった山中だったが、改めて中南米の怖さを思い知らされた出来事だった。

◆中米コスタリカで得た充実感、2部クラブと正式契約

 それでも、山中はドミニカ共和国のサッカーの将来に期待している。同国のサッカーは、身体能力の高さを前面に押し出したサッカー。足下の技術はなく、つなぐよりも蹴るサッカーだという。野球大国でサッカーの人気は低いが、協会が南米各国から各チームにコーチを派遣するなど、サッカーの発展に向けて力を入れているといい、山中は「ドミニカ人は技術の無さを身体能力で補っている。黒人選手が多く、ガッチリしていて横にもゴツく、身体能力が高いので、良い指導者がいれば何十年後かにはワールドカップにも出場できると思う」と予想する。

 リーグ期間途中でチームを離れることになった山中は、ドミニカ共和国の移籍市場がすでに閉まっていたこともあり、いったん日本に帰国後、ドミニカ共和国よりもレベルの高いほかの国で新天地を探すことを決意した。

 そして見つけたのが中米コスタリカだった。

 ダメ元で1部のウニベルシダ・デ・コスタリカにメールと自身のプレー動画を送ると、トライアウト参加が認められた。だが、行ってみると、参加選手の数は所属チームのない外国人選手、コスタリカ人選手を合わせて約60人。そこから紅白戦が延々と続けられ、ふるい落としの作業が行われた。

 山中は3度の試験をパスし、約20人のところまでこぎつけたが、結局そこで見限られた。そして、別のチームが選手を探していると聞きつけ、2部のウルグアイ・デ・コロナドに出向く。練習試合などの結果が評価され、正式契約へとこぎつけた。

 山中はウルグアイ・デ・コロナドでは1年間プレーした。コスタリカのサッカーは5バックが特徴で、代表チームだけでなく、クラブチームでも5-4-1や5-3-2が主流。山中は5バックのチームで左サイドバック、時に左のストッパーも務めた。チームのシステムは変則的で、攻撃時は3人いるセンターバックの真ん中の選手がボランチに上がり、4バックのようなシステムに変わる。ほかの選手もポジションが頻繁に変わるため、常にボランチの位置を見て確認しながらプレーしていたという。

「コスタリカは攻撃参加しやすかったし、自分の形でセンタリングを上げてアシストもできた。久々に正式に契約もできたし、充実感がありましたね」

 月500~600ドルとされる給与も銀行口座に振り込まれる形が取られ、金銭面でも困ることはなかったという。チームは1部昇格を懸けたプレーオフにも進出したが、決勝で敗退。スタンドからは審判の判定に納得いかなかったサポーターがなだれ込み、チームメートの1人はロッカールームからハサミを持ち出して審判を襲おうとするなど、波乱の幕切れだったという。

「ラテンアメリカのサッカーは本当に何が起きてもおかしくない。日本なら逮捕されるけど、あの時はハサミを持ち出した選手にチームもお咎めなしでしたね」

◆コロンビア複数チームの練習に参加も契約に至らず 現地で直面した恐怖体験

 そして山中が4カ国目に選んだのが、南米のコロンビアだった。所属先を求め、1年近く行き場を探した。だが1部、2部の複数チームの練習に参加したが、正式契約までこぎつけることはできず。18年限りでの現役引退という道を選んだ。

 2部のコルトゥルアでは契約直前までこぎつけながら、チームの下部組織の左サイドバックの選手がU-20コロンビア代表に選ばれたことで、その選手をトップに上げて鍛えるチーム方針に変わり、同じ左サイドバックとして練習に参加していた山中の入団は一転白紙に。月3000~4000ドル(約33万円~44万円)と言われていたサラリーが目前で消えた。隣国ベネズエラの2部チームに入れるチャンスもあったが、政情不安で危険度が非常に高く、現地にたどり着く前に身ぐるみ剥がされる可能性もあったため、断念した。

 またコロンビアでは、改めて南米の危険さを知ることにもなったという。首都ボゴタでは、目の前を歩くスーツ姿の男性がいきなり拳銃で撃たれて死亡する事件に遭遇。コロンビア第3の街カリでは、練習参加していたチームの練習場がマフィアが牛耳る危険エリアのど真ん中で、隣にマフィアの事務所があり、危険を感じて代理人に頼み、チームを変えてもらったこともあった。かつて同じチームで一緒に練習していた選手が、拳銃で撃たれて殺されるという訃報を耳にしたこともあった。いろんな意味で濃い1年間だった。

「26歳なのでフィジカル的にはまだやれますが、1年間チームに所属してプレーしていないと実戦感覚も鈍るし、これまでと同じプレーをするのが難しくなる。欧州やアジア、日本も考えたけど、興味が湧かなかった。中南米のサッカーにこだわりがあったんです。それで、セカンドキャリアのことも考え、現役を引退することに決めました。中南米に挑戦したことでいろんな国の人と知り合うことができたし、心残りはありません」

 結局コロンビアでは、どのチームとも契約に至ることはなかったが、1部の強豪ジュニオールから練習参加の連絡を待っていたバランキージャでは、予想もしなかった幸運が転がり込んだという。

 街中のラジオ局の前を通りかかった時のこと。生放送中のDJから「そこの東洋人。何をしているんだ?」と話しかけられた山中は事情を説明すると、その場で急きょ番組出演が決定。さらに、元コロンビア代表MFカルロス・バルデラマが好きで会えたら最高だと答えると、バルデラマと親しいプロデューサーがバルデラマに連絡。偶然近くにいたバルデラマが20分後にスタジオまで駆けつけ、共演することに。まさかの対面を果たした山中は「今まで会ったことのない、本当によく喋る人で、1人でマシンガントークを続けていました。あなたは憧れの選手だと言うと喜んでくれました」と声を弾ませる。

◆バルデラマとの共演で広がった輪 コロンビアに「恩返しをしたい」

 その後、バルデラマがインスタグラムに山中との写真を投稿したことで、山中のもとにはコロンビアのほかのメディアからも取材が殺到。7月にバランキージャで行われた中南米カリブ大会前には、ロシアW杯で日本人サポーターが試合後にゴミ拾いをしていたことに倣い、大会主催者がイメージビデオを作ることになり、そのゴミ拾いモデルとして山中にオファーが届き、スタジアムでゴミを拾う映像を撮影。その映像は大会期間中、各競技会場で使われたという。

 すでに日本に帰国している山中は、充電期間、そして次の仕事の修行期間を経て、カタールでW杯が開催される2022年までにコロンビアに戻る予定だという。

「通訳、翻訳、料理人、サッカースクールのコーチ、代理人……いろんな選択肢がある。この7年間はあっという間でした。いろんな国にいたおかげで、いろんな人と知り合うことができた。出会った人は皆、いい人ばかりだったし、僕のことを助けてくれた人には本当に感謝している。今度は恩返しをする形で、また再会できたらと思っています。4年後のW杯はコロンビアで、日本とコロンビアの両方を応援したいですね」

 環境の全く違う異国の地でさまざまな壁にぶち当たりながらも、パラグアイ、ドミニカ共和国、コスタリカ、コロンビアの4カ国で7年間、たくましくボールを蹴り続けてきた山中。今度は現地で習得したスペイン語を生かし、第2の人生を力強く歩んでいく。

(福岡吉央 / Yoshiteru Fukuoka)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190316-00176236-soccermzw-socc&p=1



1 2019/03/21(木)
現役時代にこれだけの経験、人脈を築けた事はセカンドキャリアにおいて凄いプラスだと思います。
そういう意味では成功した現役生活だったのでは?
代表に選ばれる事、ビッグチームでプレーする事だけが成功では無いんだと思いました。

2 2019/03/21(木)
久々にいい記事を読みました。
応援したい気持ちになりました。

3 2019/03/21(木)
福田健二氏を思い出しました。
最近では加藤選手のような、こういう無名でも、海外で頑張ってる選手がいるんですよね。
このような逞しい選手がJリーグで経験を還元してくれたらなぁ、そう思いながら読ませて貰いました。

5 2019/03/21(木)
どんなに努力しても叶わない夢はあるもんな。
それにしてもこの行動力はすごい。
日本人で南米でこれだけの経験をしたなんて素晴らしい。
本当にお疲れ様でした。
何よりこの2019年にもなってまだまだ貧国がここまで危険なことが悲しい。
現地の子供なんてどんな思いで毎日暮らしてるんだろうな。
南米の発展に携わる仕事、今後頑張って下さい!

6 2019/03/21(木)
大変だったと思うが相当精神力が鍛えられただろうね。
南米にコネが出来てビジネスとかで上手くやっていけそう。
セカンドキャリアを頑張ってほしいね、

8 2019/03/21(木)
かなりすごいと思います。この行動力、経験は今後に必ず活きてくると思います。

9 2019/03/21(木)
行動力と逞しさを尊敬します

11 2019/03/21(木)
凄いな。サッカーをしに海外に行ったけど、それ以上に貴重な経験が出来たと思う。

12 2019/03/21(木)
クレイジージャーニー感があって面白い。こういうフロンティアに切り込んで行く人はすごい。応援したい。

13 2019/03/21(木)
日本は恵まれたサッカー環境であることを確信した。

15 2019/03/21(木)
凄い行動力ですね。
きっと今後の人生も充実することでしょう。

16 2019/03/21(木)
サッカーが好きなことは分かる。
じゃJリーグでも他国でもテストを受けることを考えないのだろうか?興味がわかないんじゃなくて、自分の実力が分かってしまったからだな。

18 2019/03/21(木)
一気に読んでしまった!サッカー選手として生き続けることは、そのまま人生であり、人としての幅や深みにつながる。彼のこれからの将来に期待しましょう!

19 2019/03/21(木)
大変な苦労は認めるが、まだ今の時代だからできたことだと思う
それに比べると15歳で単身ブラジルに渡った時、「日本人もサッカーするんだ?」とバカにされた時代、5年近くもチームを渡り歩きサントスとの契約まで結んだ「カズの偉大さ」を感じざるをえない

21 2019/03/21(木)
とてもカッコいい漢

22 2019/03/21(木)
こういう海外組の話も面白い。

23 2019/03/21(木)
ヨーロッパの2部チームやJ2リーグでスタメン
張れると思うけど

25 2019/03/21(木)
面白い記事でした!本出してくれたら買うかも!

26 2019/03/21(木)
すげー!読み入ったわ。サッカー愛。。。素晴らしいね!

28 2019/03/21(木)
単身南米でもがいたご褒美がバルデラマとの共演。素晴らしい!
もがいた分だけパイプもできてるからセカンドキャリアで活かせますね!

29 2019/03/21(木)
なによりライオン丸が元気そうで安心しました。

32 2019/03/21(木)
スペイン語が出来て中南米のサッカーに詳しく、元代表クラスの選手とも交流がある日本人ってなかなかいないですね。今後のセカンドキャリアを応援しています!

33 2019/03/21(木)
自分もバルデラマに会いたいです
私自身にとっても憧れ中の憧れの選手です

35 2019/03/21(木)
南米は、やはり環境が厳しい
それより、ライオン丸が相変わらずライオン丸だった!

36 2019/03/21(木)
ふぃるみーのさんですよね️

37 2019/03/21(木)
アジアを巡った伊藤壇の中南米版かな。
こっちの方が生存が厳しそう。そのままの意味で。

39 2019/03/21(木)
本当にサッカーが好きなんだな。感動したよ。

40 2019/03/21(木)
充実してる!

41 2019/03/21(木)
コロンビアって昔に比べて犯罪が少なくなったとどこかの記事で見たが、この記事見る限り昔と変わってないよなw

42 2019/03/21(木)
2011のコパ準優勝がパラグアイの直近最後のピークだったかなぁ…














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