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 日本代表が「AFC アジアカップUAE2019」に向けた合宿を行っていた27日夜、メンバーに衝撃を与えるビッグニュースが飛び込んできた。鹿島アントラーズで17冠獲得に貢献し、JリーグチャンピオンシップとナビスコカップMVP各2回、2009年にはJリーグMVPに輝くなど、個人タイトルも多く獲得してきた小笠原満男が現役引退を表明したのである。


「知らなかったので驚きはもちろんありますし。元チームメートとしても、同じ東北人としても、満男さんがした決断に対しては、お疲れ様と言いたいと思います」(柴崎岳)

 冷静な口調で森保ジャパンの背番号7はこう話したが、内心は少なからず動揺があっただろう。日本サッカー界全体に絶大な影響を及ぼしてきた39歳の男がユニフォームを脱ぐことは、それだけ大きな出来事だった。

 小笠原の存在が日本で知られるようになったのは、1995年U-17世界選手権の頃。15歳から日の丸を背負った彼は「東北の星」と言われ、将来を嘱望されていた。しかし、小野伸二、稲本潤一ら同級生の実力者の壁は厚く、本大会は予備登録に留まった。当時のチームを率いた松田保監督が「15歳の小笠原はボール技術は抜群なのに、人見知りが激しく、一言も喋らない少年だった」と述懐するように、コミュニケーションの乏しさも1つの壁になっていた。

 その状況はU-20に昇格してからも続いた。小野、稲本、中田浩二、本山雅志ら1979年生まれの“黄金世代”は、18歳で98年フランスワールドカップに出場した小野と傑出した存在を中心に、チームワーク抜群だった。ところが、彼らとは対照的に小笠原は群れることを好まなかった。「あまり人とつるみたくない」と発言したこともある。今にして思えば、それは彼なりの激しいライバル意識の表れだったのかもしれない。人一倍負けず嫌いな男は、同期のスターたちとハイレベルな競争を繰り広げ、自らの技術を磨き続けた。

◆キャリアを力強く支えた世界で繰り広げた激闘

 努力の成果が発揮されたのが、1999年のワールドユースだった。稲本がケガで離脱し、中田浩二が左DF、本山が左アウトサイドで起用された。小笠原は小野、遠藤保仁と中盤でトライアングルを形成し、準優勝の原動力となった。

 それまでは控え組で悔しそうにしていた彼が嬉々として躍動する姿は、強烈な印象として残っている。黄金世代が奏でるハーモニーは絶妙で、ドリームチームと言えるほどの輝きを放った。小笠原自身も「あの時は『日本の方が強い』『俺たちは強い』って本心から思えた」と語るほどの強さだった。引退会見でも「代表で一番思い入れがあるのはワールドユースで準優勝した時」と話した。20年近くが経過した今でも当時の記憶は小笠原の脳裏に鮮明に残っている。チームメイトであり、ライバルたちと世界で繰り広げた激闘は、その後20年のキャリアを力強く支えたに違いない。

 ワールドユースの戦いを経て、鹿島では不動のレギュラーへと飛躍を果たした。2002年3月のウクライナ戦では日本代表デビューを飾り、2カ月後の日韓ワールドカップではメンバーに滑り込んだ。本山や中村俊輔が落選する中、小笠原はフィリップ・トルシエ監督を納得させるパフォーマンスを披露した。本大会はチュニジア戦のラスト6分間に出場するだけだったが、世界を本格的に意識する絶好の機会となった。

 ジーコが日本代表の指揮官に就任すると、コンスタントに招集された。2004年はアジアカップ優勝を経験し、2006年のドイツW杯では2試合に出場した。同年のフィンランド戦では、約60メートルのロングシュートを決めてみせた。それでも、最もインパクトが強いゴールは、やはり2005年のアジア最終予選、バーレーン戦で決めた一撃だろう。あの1点で勝利した日本は、本大会出場へ王手をかけた。しかし、小笠原が思い起こしたのは、またしても同級生の存在だった。

「あの時も小野伸二が直前にケガをして突然の出場で、自分も複雑な思いがあった。あのゴールも本来であれば伸二が取るはずだった。小野伸二の魂が取らせてくれたゴールだったのかもしれない。伸二にはいつか追いつきたいと思っていたし、『悔しい悔しい』の連続だったけど、最後まで追いつけなかったですね」

 苦笑いしながらそう話した。ライバルであり、仲間である同世代たちとの絆はどこまでも深かった。

◆小笠原だからこそ、日本サッカー強化に向けたアクションを

 小野はコンサドーレ札幌と契約を延長し、来季は40歳の大台を現役で迎えようとしている。小野だけでなく、黄金世代の仲間は稲本も遠藤も本山も曽ヶ端準も播戸竜二も現役にこだわり続けている。クラブ代表、指導者、選手と“三足の草鞋”を履く高原直泰のような選手もいる。サッカーに邁進し続ける仲間に囲まれたからこそ、小笠原のキャリアは充実したものになったはずだ。今後は「鹿島への恩返し」を第一に活動していくつもりだという。しかしながら、育成年代から日の丸をつけ、海外を駆け回り、世界との差を体感し続けてきた経験値は、日本代表や日本サッカー界全体に還元してほしい。

 本人は「引退試合もやりたくない」と15歳の頃と同じように人見知りで、人前に出ることを嫌っていた。が、それは同時に自分の意見をしっかり口にできる芯の強さを備えているということでもある。その強みを今こそ生かすべきだ。実際、東日本大震災の復興支援に立ち上がり、自ら意欲的に発信し、被災地の厳しい現実を伝えた姿からは、かつての「コミュニケーション下手」という印象など一切感じさせなかった。1人の人間として、サッカー人として成熟した大人になった小笠原満男。そんな彼だからこそ、日本サッカー強化に向けたアクションも積極的に起こしていってほしいものである。

文=元川悦子

SOCCER KING
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181231-00884084-soccerk-socc&p=1



1 2019/01/01(火)
口下手な男が,熱くチームを鼓舞している姿はかっこよかったです。
お疲れ様でした。
今後の活躍も期待しております!


2019/01/01(火)
ワールドユースの頃から見てる。選手としてだけでなく人間として本当に立派になった。
だからこそ引退は悲しい。この世代の最後の砦まで残って欲しかった。本人は嫌がっても絶対に引退試合をやって欲しい。前半はワールドユースチーム、後半は鹿島チームで見たい。

本当にお疲れさまでした。


2019/01/01(火)
日本代表を支えてきた寡黙で素晴らしい選手がピッチを去るんですね。

お疲れさまでした。


2019/01/01(火)
引退試合をしたくない…
ならば、慰労試合と名を変えてもダメかな?
サポーターとしてみれば、最大の感謝と想いを込めた小笠原コールをしたい。
そして、出来るならカシマと東北で開催してほしい。


2019/01/01(火)
常に悔しさを味わってきた選手なんだよね
代表では中田、俊輔、小野の次の存在…
ワールドユースもレギュラーとはいえ、基本守備で攻撃は小野と指示されていたようだ

でも同年代のライバルを認めていたからこそ、ただの悔しさではなく頑張れたんだろうね
メンタリティはこの世代ではナンバー1だろう


2019/01/01(火)
小笠原選手に対してはコミュニケーションが下手と感じたことはないかな。
どちらかというと、背中ぎ全てを物語っていました、
ホントに良い選手でした、まだまだ現役でみたいけれど、ひとまずお疲れ様でした!


2019/01/01(火)
サラリーマンの俺は、いつも小笠原の活躍を糧にしていた。直かに見たのは一回だけ。でも、活躍する度に嬉しかった。
夢でサイン貰った事もあった。

こんな男と少しで良いから話しをして見たい。


10 2019/01/01(火)
小野に追いつけなかった、と仰いましたが、敵サポからすると嫌だったのは小野選手より小笠原選手でした。
何をもって上か下かなんて人それぞれですが、勝ち点への執着とも言うべき闘争心剥き出しのスタイルは本当に怖かったです。
本当にお疲れ様でした。鹿島ってミスターと呼ばれてもおかしくない選手が多いのは本当に羨ましい。


12 2019/01/01(火)
東北の星!
今でこそ東北出身がいるし、出身じゃないとしても青森山田があるから、なんとも思わない人多いかもしれないが、あの時代の東北勢は全国大会で一回戦突破するこどか凄いという時代。
そんな中、全国的には無名の高校で輝いてたからまさに東北の星だったな〜。
同じ東北出身としてずっと好きでした、お疲れ様です。


13 2019/01/01(火)
彼は小学生の時、すでに岩手県下、東北で名の知られる存在だった。その後、全国に打って出た時、自分と同等以上の実力を持つ伸二、高原、稲本と出会いそれがさらなる成長の糧となった。


14 2019/01/01(火)
チュニジア戦でハーフウェイライン辺りからロングシュートを狙ったのを覚えている。トルシエの意図するプレーではなかったはずだけど、少ない時間の中悔しさやアピールしたい気持ちを前面に出す気の強い選手だと思った。


16 2019/01/01(火)
1番好きな選手だった。
ちょっと寂しくなるな…

引退はショックだけど、小笠原のこれからを楽しみにしてます!

お疲れ様でした!


17 2019/01/01(火)
地元の後輩にはなりますが、涙が止まりませんでした。
まだまだ出来るのに。

引退試合はやりたくないそうですが、それはチームが決める事。

ぜひ、無理やり実施して下さい。
よろしくお願いします。


18 2019/01/01(火)
あんた最高だよ。

メッシーナからアントラーズに帰ってきた時に中村俊輔なぎ倒してボール奪った守備力と相手の心を折る闘争心、最高だった。


20 2019/01/01(火)
意外といったら失礼だが、小野伸二の方が先に引退すると思ってた


21 2019/01/01(火)
高くて強い壁として立ちはだかる鹿島の小笠原満男は時に憎らしいほどだったけど、被災地に寄り添い郷里のために支援活動を続けるサッカー選手の小笠原満男はとても好きでした


22 2019/01/01(火)
ライバル視はしてたけど、同世代だから仲間意識も強かったのが伝わってくるね。


24 2019/01/01(火)
満男も伸二も大好きです。
伸二のためにも、、ていう試合後の小笠原のインタビューがものすごく印象的だった


25 2019/01/01(火)
いつかは見たい、小笠原アントラーズ、小笠原JAPAN!


26 2019/01/01(火)
なんとなく最後までやるのが小笠原だと思ってた。


28 2019/01/01(火)
いったい何歳まで鹿島の主力なんだろう。バケモノだなこの人、って思ってたけどもう引退か。最終的にこの世代で最後まで輝いてたのはこの人だと思う。お疲れ様でした。


30 2019/01/01(火)
近い将来、必ずやアントラーズの監督になるだろうな〜。イヤ、絶対なって欲しい。


31 2019/01/01(火)
77年生まれです。小笠原は良いよね。


32 2019/01/01(火)
小野とのツーショット写真。良い写真です。


33 2019/01/01(火)
満男ありがとう
お疲れ様


35 2019/01/01(火)
寡黙な指導者も有り


36 2019/01/01(火)
小笠原と小野が談笑してる画像…
素敵すぎです!


37 2019/01/01(火)
やべっちFCで同世代とフットサルやってる時、
本当に楽しそうだった。
引退試合は本人がやりたくなくても、
あのフットサルはもう一度見てみたい。
相手は長谷部・本田・岡崎・長友・香川・吉田・昌子あたりで。


38 2019/01/01(火)
小笠原は味方だったら頼もしいけど

敵にまわしたら厄介な選手だろうな


39 2019/01/01(火)
写真だけで泣ける。(同世代)











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