1: サムライ24時 2017/01/17(火) 19:22:05.43 ID:CAP_USER9
短期連載・今こそ「ジュビロ磐田のN-BOX」を考える(1)
2016年12月18日に行なわれたクラブ・ワールドカップ決勝。レアル・マドリードと対戦した鹿島アントラーズが、延長戦までもつれ込む好勝負を演じたことは、記憶に新しい。
だが、今から15年前にも、国際大会でレアル・マドリードに真剣勝負を挑もうとした日本のクラブが存在した。今なお「Jリーグ史上最強のチーム」との呼び声が高い、2001年のジュビロ磐田である。
その年の夏に開催されるクラブ世界選手権への出場が決まっていた磐田は、レアル・マドリードとの対戦に備え、革新的な戦術・システムを編み出すのだが――。
これは、幻に終わった世界へのチャレンジと、日本サッカーの理想形を体現してみせた男たちの物語である。
国立で産声をあげた「N-BOX」
澄み切った国立競技場の空に、サックスブルーの凱歌が響きわたった。
2001年4月7日、J1リーグ・ファーストステージ第4節。リーグタイトル奪還に燃えるジュビロ磐田が、前年の三冠チャンピオンである鹿島アントラーズを下して開幕4連勝を飾った。
スコアは2?1と僅差だったが、内容は磐田の圧勝。当時、試合後のミックスゾーンでさほど多弁ではなかった名波浩を「鹿島に対して、これまでで一番気持ちのいい勝ち方ができた」と饒舌にさせるほどの完勝だった。
そんな試合内容と同じくらい鮮烈なインパクトを残したのが、この日の磐田が採用した特異なシステムだ。
メンバーリストには、3人のディフェンダー、5人のミッドフィールダー、2人のフォワードの名前が記されている。いわゆる3?5?2である。ところが、中盤の5人がダブルボランチ、両ウイングバック、トップ下で構成される従来の3?5?2とは大きく異なり、俯瞰して見ると「サイコロの5の目」のように並んでいる。
右の攻撃的ミッドフィールダーに藤田俊哉、左の攻撃的ミッドフィールダーに奥大介、右のボランチに福西崇史、左のボランチに服部年宏、そして、その4人を結んだ四角形の真ん中に名波がいた。
一般的な3?5?2におけるウイングバックのような、サイドを主戦場とする選手はひとりもいない。それなのに、ピッチ上ではサイドを含めたあらゆるエリアで磐田の選手たちが数的優位を作り、鹿島の選手に襲いかかってはボールを刈り取っていく――。まるで、磐田がひとり多い人数で戦っているかのようだった。
当時の磐田の指揮官で、今は日本体育大サッカー部を率いる鈴木政一は、試合後の選手たちの様子を昨日のことのように覚えている。
「清々しい表情で『今日は本当に楽しかったな』って話しながらピッチから帰ってきたんですよ。『このサッカーをやってきて本当によかった』って。それを聞いて、『よし、やった』って、心の中でガッツポーズしましたよ」
しかし同時に、選手たちがそれまで不安を抱えながらプレーしていたことを、鈴木はこのとき初めて知った。
「『ここまで負けてなかったけれど、実は、まるで手応えがなかった』って彼らが言うんです。もちろん、しっくりきていないんだろうということは分かっていましたが、まさかそこまでだったとは。でも、その不安を乗り越えて、よくモノにしてくれたなと」
最大のライバルとの一戦で、このシーズンから着手したばかりの新戦術、新システムを、彼らはほぼパーフェクトに機能させたのである。
サッカー専門誌『週刊サッカーマガジン』は、この特異なシステムを「N-BOX」と名付け、この日の磐田の戦いぶりを特集記事としてレポートした。その記事に「N-BOXの産声」というタイトルを掲げて――。
2016年12月18日に行なわれたクラブ・ワールドカップ決勝。レアル・マドリードと対戦した鹿島アントラーズが、延長戦までもつれ込む好勝負を演じたことは、記憶に新しい。
だが、今から15年前にも、国際大会でレアル・マドリードに真剣勝負を挑もうとした日本のクラブが存在した。今なお「Jリーグ史上最強のチーム」との呼び声が高い、2001年のジュビロ磐田である。
その年の夏に開催されるクラブ世界選手権への出場が決まっていた磐田は、レアル・マドリードとの対戦に備え、革新的な戦術・システムを編み出すのだが――。
これは、幻に終わった世界へのチャレンジと、日本サッカーの理想形を体現してみせた男たちの物語である。
国立で産声をあげた「N-BOX」
澄み切った国立競技場の空に、サックスブルーの凱歌が響きわたった。
2001年4月7日、J1リーグ・ファーストステージ第4節。リーグタイトル奪還に燃えるジュビロ磐田が、前年の三冠チャンピオンである鹿島アントラーズを下して開幕4連勝を飾った。
スコアは2?1と僅差だったが、内容は磐田の圧勝。当時、試合後のミックスゾーンでさほど多弁ではなかった名波浩を「鹿島に対して、これまでで一番気持ちのいい勝ち方ができた」と饒舌にさせるほどの完勝だった。
そんな試合内容と同じくらい鮮烈なインパクトを残したのが、この日の磐田が採用した特異なシステムだ。
メンバーリストには、3人のディフェンダー、5人のミッドフィールダー、2人のフォワードの名前が記されている。いわゆる3?5?2である。ところが、中盤の5人がダブルボランチ、両ウイングバック、トップ下で構成される従来の3?5?2とは大きく異なり、俯瞰して見ると「サイコロの5の目」のように並んでいる。
右の攻撃的ミッドフィールダーに藤田俊哉、左の攻撃的ミッドフィールダーに奥大介、右のボランチに福西崇史、左のボランチに服部年宏、そして、その4人を結んだ四角形の真ん中に名波がいた。
一般的な3?5?2におけるウイングバックのような、サイドを主戦場とする選手はひとりもいない。それなのに、ピッチ上ではサイドを含めたあらゆるエリアで磐田の選手たちが数的優位を作り、鹿島の選手に襲いかかってはボールを刈り取っていく――。まるで、磐田がひとり多い人数で戦っているかのようだった。
当時の磐田の指揮官で、今は日本体育大サッカー部を率いる鈴木政一は、試合後の選手たちの様子を昨日のことのように覚えている。
「清々しい表情で『今日は本当に楽しかったな』って話しながらピッチから帰ってきたんですよ。『このサッカーをやってきて本当によかった』って。それを聞いて、『よし、やった』って、心の中でガッツポーズしましたよ」
しかし同時に、選手たちがそれまで不安を抱えながらプレーしていたことを、鈴木はこのとき初めて知った。
「『ここまで負けてなかったけれど、実は、まるで手応えがなかった』って彼らが言うんです。もちろん、しっくりきていないんだろうということは分かっていましたが、まさかそこまでだったとは。でも、その不安を乗り越えて、よくモノにしてくれたなと」
最大のライバルとの一戦で、このシーズンから着手したばかりの新戦術、新システムを、彼らはほぼパーフェクトに機能させたのである。
サッカー専門誌『週刊サッカーマガジン』は、この特異なシステムを「N-BOX」と名付け、この日の磐田の戦いぶりを特集記事としてレポートした。その記事に「N-BOXの産声」というタイトルを掲げて――。
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2: サムライ24時 2017/01/17(火) 19:22:42.50 ID:CAP_USER9
2001シーズンを指揮する意味
契約の延長を打診されて、嬉しくない監督はいないだろう。しかし、その時の鈴木は簡単に首を縦に振るわけにはいかなかった。
磐田の前身であるヤマハ発動機サッカー部で現役時代を過ごした鈴木が、磐田のサテライト監督やスカウトなどを経てトップチームの監督に就任したのは、2000年9月のことだった。
シドニー五輪とアジアカップによるリーグ中断中に、成績不振で解任されたギョキッツァ・ハジェブスキー監督の後任に就くと、リーグ再開後の5試合を4勝1敗で駆け抜け、チームを見事に立て直す。その手腕が評価され、鈴木はクラブから新シーズンも指揮を執るよう要請されたのである。
「私が途中就任したとき、選手たちは能力の70パーセントしか出せていない状態でした。これを100パーセントにして、新監督にバトンタッチするのが自分の務めだと考えていた。だから、システムも選手の顔ぶれも変えず、トレーニングの内容だけ変えて、選手本来のパフォーマンスを出せるようにしたんです。けれど、2001年もやるとなると話が変わってくる」
快諾を躊躇させたのは、翌年7月に予定されていたクラブ世界選手権の存在だった。
クラブ世界選手権は2000年に新設されたばかりの大会である。その年の1月にブラジルで開催された第1回大会は、各大陸の王者に、開催国枠でブラジルのコリンチャンス、招待枠で1998年のトヨタカップ優勝のレアル・マドリードを加えた8チームによって争われ、コリンチャンスが初代王者に輝いていた。
1999年のアジアスーパーカップ覇者である磐田は、2001年7月にスペインで開催される第2回大会への出場が決まっていた。日本のクラブがヨーロッパや南米のクラブとの真剣勝負に挑むのは初めてのことで、この大会への参戦は磐田にとって新シーズンの最大の目標であり、ハイライトになるはずだった。
「97、98、99年と、ジュビロはタイトルを獲得してきましたが、右肩上がりに進化しているかというと、私のイメージではむしろ落ちてきているんじゃないかと感じていたんです。Jリーグでもそうなのだから、現状のままでは世界と戦うのは難しい。いろいろと考え直さないといけないから、『ちょっと時間をください』と社長に言ったんです。それで、コーチの柳下正明や山田松市と意見交換をしました」
この時点では、大会の組み合わせ抽選は行なわれていなかったが、開催地がスペインであること、ヨーロッパ王者であるレアル・マドリードの出場が決まっていたことから、鈴木のイメージする仮想敵はおのずと、この年12月にFIFAによって認定される「20世紀最高のクラブ」に定まった。
2000年11月24日、レアル・マドリードが来日した。
28日に国立競技場で行なわれるトヨタカップで、アルゼンチンのボカ・ジュニアーズと対戦するためである。試合には1-2で敗れたが、その夏に宿敵バルセロナからルイス・フィーゴを獲得し、「銀河系軍団」へと変貌を遂げつつあるスター集団を、11月26日にリーグ最終節を終えたばかりの鈴木はじっくりと分析した。
「ほかにもたくさんレアルの試合を見たんだけども、プレースピード、パススピード、判断のスピードと、どれをとってもとにかく速い。それに、個人能力もケタ違いのレベルで、1対1では太刀打ちできないから、2人、3人で奪いにいって、たとえ取れなくてもプレッシャーをかけ続けてミスを誘うしかないと。日本人だからできる緻密なサッカーで勝負しようという結論になったんです」
鈴木がイメージしたのは、自陣に引いて守るのではなく、自分たちからアクションを起こしてボールを奪いにいくこと。プレッシャーをかけると同時にスペースを消し、パスコースを埋めて相手から攻撃を組み立てる時間を奪う、アグレッシブな守備だった。
「当時のジュビロは、遅攻はある程度できていた。だから、いかにボールを奪うか、いかに速く攻めるか、そこにトライする必要があったんです」
問題は、選手をどう配置するか、だった。
2000年シーズンの磐田は従来の3-5-2を採用していたが、このシステムには、レアル・マドリードのような格上と対戦して押し込まれると、ウイングバックがディフェンスラインに吸収されて5バックにさせられる危険性があった。それではボールを奪っても攻撃に転じるのが難しい。
契約の延長を打診されて、嬉しくない監督はいないだろう。しかし、その時の鈴木は簡単に首を縦に振るわけにはいかなかった。
磐田の前身であるヤマハ発動機サッカー部で現役時代を過ごした鈴木が、磐田のサテライト監督やスカウトなどを経てトップチームの監督に就任したのは、2000年9月のことだった。
シドニー五輪とアジアカップによるリーグ中断中に、成績不振で解任されたギョキッツァ・ハジェブスキー監督の後任に就くと、リーグ再開後の5試合を4勝1敗で駆け抜け、チームを見事に立て直す。その手腕が評価され、鈴木はクラブから新シーズンも指揮を執るよう要請されたのである。
「私が途中就任したとき、選手たちは能力の70パーセントしか出せていない状態でした。これを100パーセントにして、新監督にバトンタッチするのが自分の務めだと考えていた。だから、システムも選手の顔ぶれも変えず、トレーニングの内容だけ変えて、選手本来のパフォーマンスを出せるようにしたんです。けれど、2001年もやるとなると話が変わってくる」
快諾を躊躇させたのは、翌年7月に予定されていたクラブ世界選手権の存在だった。
クラブ世界選手権は2000年に新設されたばかりの大会である。その年の1月にブラジルで開催された第1回大会は、各大陸の王者に、開催国枠でブラジルのコリンチャンス、招待枠で1998年のトヨタカップ優勝のレアル・マドリードを加えた8チームによって争われ、コリンチャンスが初代王者に輝いていた。
1999年のアジアスーパーカップ覇者である磐田は、2001年7月にスペインで開催される第2回大会への出場が決まっていた。日本のクラブがヨーロッパや南米のクラブとの真剣勝負に挑むのは初めてのことで、この大会への参戦は磐田にとって新シーズンの最大の目標であり、ハイライトになるはずだった。
「97、98、99年と、ジュビロはタイトルを獲得してきましたが、右肩上がりに進化しているかというと、私のイメージではむしろ落ちてきているんじゃないかと感じていたんです。Jリーグでもそうなのだから、現状のままでは世界と戦うのは難しい。いろいろと考え直さないといけないから、『ちょっと時間をください』と社長に言ったんです。それで、コーチの柳下正明や山田松市と意見交換をしました」
この時点では、大会の組み合わせ抽選は行なわれていなかったが、開催地がスペインであること、ヨーロッパ王者であるレアル・マドリードの出場が決まっていたことから、鈴木のイメージする仮想敵はおのずと、この年12月にFIFAによって認定される「20世紀最高のクラブ」に定まった。
2000年11月24日、レアル・マドリードが来日した。
28日に国立競技場で行なわれるトヨタカップで、アルゼンチンのボカ・ジュニアーズと対戦するためである。試合には1-2で敗れたが、その夏に宿敵バルセロナからルイス・フィーゴを獲得し、「銀河系軍団」へと変貌を遂げつつあるスター集団を、11月26日にリーグ最終節を終えたばかりの鈴木はじっくりと分析した。
「ほかにもたくさんレアルの試合を見たんだけども、プレースピード、パススピード、判断のスピードと、どれをとってもとにかく速い。それに、個人能力もケタ違いのレベルで、1対1では太刀打ちできないから、2人、3人で奪いにいって、たとえ取れなくてもプレッシャーをかけ続けてミスを誘うしかないと。日本人だからできる緻密なサッカーで勝負しようという結論になったんです」
鈴木がイメージしたのは、自陣に引いて守るのではなく、自分たちからアクションを起こしてボールを奪いにいくこと。プレッシャーをかけると同時にスペースを消し、パスコースを埋めて相手から攻撃を組み立てる時間を奪う、アグレッシブな守備だった。
「当時のジュビロは、遅攻はある程度できていた。だから、いかにボールを奪うか、いかに速く攻めるか、そこにトライする必要があったんです」
問題は、選手をどう配置するか、だった。
2000年シーズンの磐田は従来の3-5-2を採用していたが、このシステムには、レアル・マドリードのような格上と対戦して押し込まれると、ウイングバックがディフェンスラインに吸収されて5バックにさせられる危険性があった。それではボールを奪っても攻撃に転じるのが難しい。
4: サムライ24時 2017/01/17(火) 19:23:06.08 ID:CAP_USER9
ならば、4バックを採用するのはどうか。しかし、当時の磐田には右サイドバックを本職とする選手がいなかった。
「そこで、はじめから置かないのはどうだろうかと考えた。もうひとつ、中盤にいい選手が多かったから、彼らの能力を最大限に活かしたいという思いもあった。だから、ワイドに選手を置くのではなく、中盤をコンパクトにして中央を固め、サイドにボールを出させて、チーム全体で一気にプレッシャーをかけて奪い取ろうと」
新戦術・新システムが像を結びはじめた。ともすれば、机上の空論に陥りかねないアイデアを実現可能であると判断させたのは、選手たちの技術とセンス、サッカー観だった。
「ハンス(オフト)のもとで94年から3年間、徹底的に基礎を学んだ後、フェリペ(スコラーリ)やバウミールらブラジル人監督のもとで勝つためのメンタリティを身につけた。フォーメーションも3-5-2、4-4-2の両方をやってきたし、守備もマンマーク、ゾーンの両方を経験して、必要なことをすべてやってきた。選手一人ひとりのサッカー観も技術もしっかりしていたので、下地はできていると思ったんです」
新戦術・新システムを機能させるためのポイントは、全体をコンパクトに保ち、チーム全体がスムーズにスライドしてプレッシャーをかけること。それには、中盤の真ん中でバランスを取り、ときにトップ下に上がって攻撃のタクトを振るい、ときに後ろのスペースにも目を配れる司令塔の存在が不可欠だった。
「それは、名波を置いてほかにいませんでした」
(つづく)
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2017/01/17/_split_n_box/index_7.php
「そこで、はじめから置かないのはどうだろうかと考えた。もうひとつ、中盤にいい選手が多かったから、彼らの能力を最大限に活かしたいという思いもあった。だから、ワイドに選手を置くのではなく、中盤をコンパクトにして中央を固め、サイドにボールを出させて、チーム全体で一気にプレッシャーをかけて奪い取ろうと」
新戦術・新システムが像を結びはじめた。ともすれば、机上の空論に陥りかねないアイデアを実現可能であると判断させたのは、選手たちの技術とセンス、サッカー観だった。
「ハンス(オフト)のもとで94年から3年間、徹底的に基礎を学んだ後、フェリペ(スコラーリ)やバウミールらブラジル人監督のもとで勝つためのメンタリティを身につけた。フォーメーションも3-5-2、4-4-2の両方をやってきたし、守備もマンマーク、ゾーンの両方を経験して、必要なことをすべてやってきた。選手一人ひとりのサッカー観も技術もしっかりしていたので、下地はできていると思ったんです」
新戦術・新システムを機能させるためのポイントは、全体をコンパクトに保ち、チーム全体がスムーズにスライドしてプレッシャーをかけること。それには、中盤の真ん中でバランスを取り、ときにトップ下に上がって攻撃のタクトを振るい、ときに後ろのスペースにも目を配れる司令塔の存在が不可欠だった。
「それは、名波を置いてほかにいませんでした」
(つづく)
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2017/01/17/_split_n_box/index_7.php
6: サムライ24時 2017/01/17(火) 19:23:24.20 ID:jSvslvyO0
当時のジュビロは最強だった
今年は俊さんが来てどうなりますかなあ
今年は俊さんが来てどうなりますかなあ
51: サムライ24時 2017/01/17(火) 19:47:25.62 ID:SXLl/mDN0
>>6
みんなの意思統一が半端ない感じだった。やることを皆が認識してた。
たしか清水戦だとおもうが、自軍ゴール前からカウンター。3,4本のパスでゴール決めた試合とかあって痺れた
みんなの意思統一が半端ない感じだった。やることを皆が認識してた。
たしか清水戦だとおもうが、自軍ゴール前からカウンター。3,4本のパスでゴール決めた試合とかあって痺れた
15: サムライ24時 2017/01/17(火) 19:27:45.74 ID:hy1/vebw0
どちらかというと3バックの個人能力の高さに依存したシステムだったよな。
21: サムライ24時 2017/01/17(火) 19:30:08.59 ID:HwFLcMH/0
ウイイレでN-BOXにしてやってたけどけっこう強かった
変則的な3322で完全な3322よりもバランスがよかった
OHが下がり目だからミドルシュートやパス入れやすいんだよ
守備時もそのポジショニングが効いてた
変則的な3322で完全な3322よりもバランスがよかった
OHが下がり目だからミドルシュートやパス入れやすいんだよ
守備時もそのポジショニングが効いてた
23: サムライ24時 2017/01/17(火) 19:30:45.64 ID:h2lLMab30
中山の点の取り方が異常だった
28: サムライ24時 2017/01/17(火) 19:31:49.19 ID:wVUiLezo0
ヴァンズワム
田中 鈴木 大岩
服部 福西 名波 藤田 奥
中山 高原
これほどすらすら出てくるスタメンはそうもない
田中 鈴木 大岩
服部 福西 名波 藤田 奥
中山 高原
これほどすらすら出てくるスタメンはそうもない
47: サムライ24時 2017/01/17(火) 19:42:06.44 ID:3KJFJPEg0
>>28
CBは3人とも180前後しかなかったんだよな
CBは3人とも180前後しかなかったんだよな
50: サムライ24時 2017/01/17(火) 19:47:13.12 ID:IKCbZsbD0
>>28
控えは山西、金沢、西、川口だっけ?
控えは山西、金沢、西、川口だっけ?
101: サムライ24時 2017/01/17(火) 20:38:24.25 ID:aoWX35N60
>>28
Jリーグブーム後だよね
知らんわ
Jリーグブーム後だよね
知らんわ
119: サムライ24時 2017/01/17(火) 20:53:35.67 ID:m/wQPA160
>>28
藤田と名波は違うタイプの天才
厄介だったわ
それに高原とか
藤田と名波は違うタイプの天才
厄介だったわ
それに高原とか
32: サムライ24時 2017/01/17(火) 19:33:35.49 ID:5NtEX4mS0
当時の鹿島対磐田はすごい面白かったよ。
どっちも日本人が主力で個々のレベルが高かった
どっちも日本人が主力で個々のレベルが高かった
40: サムライ24時 2017/01/17(火) 19:37:41.00 ID:HwFLcMH/0
48: サムライ24時 2017/01/17(火) 19:42:49.34 ID:UpH5kN8X0
>>40
何故か鈴木にイエロー二枚で福西涼しい顔
何故か鈴木にイエロー二枚で福西涼しい顔
58: サムライ24時 2017/01/17(火) 19:53:55.12 ID:AanC+EFL0
ACL獲った時の「ワシントン、ポンテの浦和」や「黄金の中盤のガンバ」より「N-BOX」は上かな?
61: サムライ24時 2017/01/17(火) 19:55:55.89 ID:dKN/ofa60
>>58
当然に上だったな。外国人頼みじゃなかったからな。
当然に上だったな。外国人頼みじゃなかったからな。
60: サムライ24時 2017/01/17(火) 19:55:50.19 ID:8QRw7oq/0
これだけは仮に今J1にいたとしてもマジで強い
フォメと個の特徴に成熟度が美しいくらい調和してた
福西の我慢、運動量それにイケイケ度が渾然一体だった時期だわ
フォメと個の特徴に成熟度が美しいくらい調和してた
福西の我慢、運動量それにイケイケ度が渾然一体だった時期だわ
68: サムライ24時 2017/01/17(火) 20:06:36.97 ID:HeRmuKwL0
ほとんど生え抜きの選手、GK以外全員日本人、革新的なシステム
当時は見てて相当面白かったよ
当時は見てて相当面白かったよ
71: サムライ24時 2017/01/17(火) 20:09:05.64 ID:SIWvmYzx0
天才的なカバーリングの出来る服部、福西が居たからこその出来たシステム。服部の凄さは生でスタジアム観戦しないと解らない。
72: サムライ24時 2017/01/17(火) 20:14:44.08 ID:hjCN1NjM0
数年間は強かったみたいだけど
何か対策されたの?
何か対策されたの?
73: サムライ24時 2017/01/17(火) 20:16:10.99 ID:uRhz+smV0
>>72
個の力に頼ったシステムで代替えが利かなければ選手が衰えたら終わる
個の力に頼ったシステムで代替えが利かなければ選手が衰えたら終わる
78: サムライ24時 2017/01/17(火) 20:20:57.64 ID:ce+x61yD0
>>72
奥と高原の移籍、ゴンの劣化が致命的だった
奥と高原の移籍、ゴンの劣化が致命的だった
75: サムライ24時 2017/01/17(火) 20:18:29.42 ID:pFXZ/ONl0
この頃のジュビロまじで強かった
FWにロペスと中山だっけ?
FWにロペスと中山だっけ?
77: サムライ24時 2017/01/17(火) 20:19:42.84 ID:YwyvPI3t0
>>75
高原と中山
高原と中山
100: サムライ24時 2017/01/17(火) 20:38:18.01 ID:JUc65D8n0
福西がアホみたいに上がりまくるリベロやってたのは笑ったなぁ
103: サムライ24時 2017/01/17(火) 20:39:50.19 ID:0EKERuFB0
服部が効いてたんだよな
アクションでボールを回収ってのがN-BOXの最大の目的だったのか
服部を通して考えれば納得
ただし鹿島には徹底的にサイドチェンジでやられたがな
アクションでボールを回収ってのがN-BOXの最大の目的だったのか
服部を通して考えれば納得
ただし鹿島には徹底的にサイドチェンジでやられたがな
109: サムライ24時 2017/01/17(火) 20:47:22.05 ID:j3sIjOzf0
ほっといても点取るのに中盤のあらゆる所から好パスが飛んでくるし
ゴンが真ん中で体張って落としまくるからもう高原は天国だっただろうな
ゴンが真ん中で体張って落としまくるからもう高原は天国だっただろうな
107: サムライ24時 2017/01/17(火) 20:45:29.09 ID:XKjTW/OO0
Jのエンブレムずらっと並べた時の圧倒的な存在感はあの頃のジュビロがあるから。
引用元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1484648525/
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