1: サムライ24時 2016/12/22(木) 19:54:42.34 ID:CAP_USER9
偉大な選手の息子は、どうしても父親との比較と好奇の目にさらされることが多く、時にはそれが大きな重圧となり、常に“◯◯の息子”という形容がつく。
だが、それはある意味、避けて通れない運命であり、それを受け入れて、かつ偉大な背中を越えようとするバネが、選手としても、人間としても大きな成長を促すこともある。
関西大学のGK前川黛也(だいや)の姿を見ていると、それを非常に感じる。彼は191cmの高さを持ち、全日本大学選抜にも選ばれた大学サッカー界屈指のGKで、来季、ヴィッセル神戸への入団が内定している。
そんな彼の父親はサンフレッチェ広島で一時代を築き、日本代表として国際Aマッチ17試合出場を誇るGKだった前川和也である。
前川家の長男として生を受けた黛也は、自然とサッカーへの道を歩んで行ったが、始めた頃はGKとしてではなく、フィールドプレーヤーとしてであった。
フィールドプレーヤーだったが、身長が伸びて……。
父親と同じ大型GKとして、プロの道に進む。これだけを見れば、出来過ぎなほどの綺麗な“親子鷹”のように映る。しかし、ここに至るまでの道のりは、決して平坦ではなかった。特に前川黛也にとっては――。
彼は大分トリニータジュニア、サンフレッチェ広島ジュニア、サンフレッチェ広島ジュニアユースとエリート街道を歩んで来た。その時のポジションはFW、CB、サイドバックとフィールドプレーヤーで、GKはフットサルのときに少しやる程度だった。
そして彼の大きな転機がやってきた。中学2年時の彼の身長は160cm台であった。しかし、中3に入ると一気に身長が伸び、それは180cmにまで到達した。急激な体格の変化に、当然、骨や筋肉、プレー感覚がついていけるはずがなかった。
徐々にフィールドプレーヤーとして自分のプレーが出来なくなり、成長痛などから来る怪我も併発。サッカー選手として初めての大きな壁にぶつかった時、彼の目の前に現れたのは、GKとしてのサッカー人生だった。
「僕の中で『GKって楽しくない』と思ってた」
「本当に苦しかった。ゲーム体力やスピードが全くついていけなくなって、他のフィールドの選手と比べても、このままプレーし続けることが厳しい状態になったんです。その時、周りの人やGK関係者の人たちからも『GKをやってみないか』と言われるようになったので、自分の中でもGKという道を考えるようになりました。でも、僕の中でGKに対する偏見があって『GKって楽しくない』と思ってたんです。父親は尊敬していたのですが、GKに魅力を感じなかったんです」
だがユース昇格を果たせず、厳しい現実を目の当たりにした黛也は、中3の終わりに決断を下した。ここしか自分が選手として生き残っていく道がない。ここで決断をしないと、子供の頃から目標だった父と同じプロサッカー選手になる可能性も大きく減ってしまう。
当然、彼の頭の中には父と同じポジションになることで、より父親が自分の比較対象となり、今まで以上に“前川和也の息子”と呼ばれることになることは十分に理解をしていた。しかし、もうそんなことを言っている時間はない。「言われることは仕方がないと思っていたし、当時は本当に自分のことで精一杯だった」と、GK転身を決めた。
父・和也は息子の決断を黙って見守っていた。
この決断を父・和也は黙って見守っていたという。
「黛也が壁にぶつかっていたことは分かっていた。“どういう決断をするのかな”と見ていました。本人がやりたいところをやらせてあげようという気持ちだった」(和也)
彼はGK転身を決意した。そして、これまで歩んで来たサンフレッチェ広島の下部組織を離れ、新たなポジション、新たな環境でリスタートを切ることになった。地元の強豪校である広島皆実高校に進学が決まった黛也は、すぐに行動に移した。GKとしての大先輩であり、現役の指導者でもある父親への練習志願だった。
「僕にGKとしての基礎を教えて欲しい」
そう黛也から言われた和也は、彼の覚悟を固めた目を見た。
「本人の意欲を感じたし、彼なりにしっかりと考えているなと思った」
ここから本格的な“親子鷹”がスタートした。和也は当時から現職でもあるFCバイエルン常石の指導者を務めており、クラブがある福山市に単身赴任をしていた。毎週月曜日がオフで、その度に家族の待つ広島市に帰って来る生活を送っていた。この毎週月曜日はGK練習の時間となり、近所にある公園の一角で、黛也の1つ年下の弟と3人で黙々と練習に打ち込む日々が始まった。
「僕はもう全くの素人状態で、GKとしての下地が何も出来ていなかった。なので、とにかく前を向いて、吸収出来るものはどんどん吸収して行くしか道がなかった」
だが、それはある意味、避けて通れない運命であり、それを受け入れて、かつ偉大な背中を越えようとするバネが、選手としても、人間としても大きな成長を促すこともある。
関西大学のGK前川黛也(だいや)の姿を見ていると、それを非常に感じる。彼は191cmの高さを持ち、全日本大学選抜にも選ばれた大学サッカー界屈指のGKで、来季、ヴィッセル神戸への入団が内定している。
そんな彼の父親はサンフレッチェ広島で一時代を築き、日本代表として国際Aマッチ17試合出場を誇るGKだった前川和也である。
前川家の長男として生を受けた黛也は、自然とサッカーへの道を歩んで行ったが、始めた頃はGKとしてではなく、フィールドプレーヤーとしてであった。
フィールドプレーヤーだったが、身長が伸びて……。
父親と同じ大型GKとして、プロの道に進む。これだけを見れば、出来過ぎなほどの綺麗な“親子鷹”のように映る。しかし、ここに至るまでの道のりは、決して平坦ではなかった。特に前川黛也にとっては――。
彼は大分トリニータジュニア、サンフレッチェ広島ジュニア、サンフレッチェ広島ジュニアユースとエリート街道を歩んで来た。その時のポジションはFW、CB、サイドバックとフィールドプレーヤーで、GKはフットサルのときに少しやる程度だった。
そして彼の大きな転機がやってきた。中学2年時の彼の身長は160cm台であった。しかし、中3に入ると一気に身長が伸び、それは180cmにまで到達した。急激な体格の変化に、当然、骨や筋肉、プレー感覚がついていけるはずがなかった。
徐々にフィールドプレーヤーとして自分のプレーが出来なくなり、成長痛などから来る怪我も併発。サッカー選手として初めての大きな壁にぶつかった時、彼の目の前に現れたのは、GKとしてのサッカー人生だった。
「僕の中で『GKって楽しくない』と思ってた」
「本当に苦しかった。ゲーム体力やスピードが全くついていけなくなって、他のフィールドの選手と比べても、このままプレーし続けることが厳しい状態になったんです。その時、周りの人やGK関係者の人たちからも『GKをやってみないか』と言われるようになったので、自分の中でもGKという道を考えるようになりました。でも、僕の中でGKに対する偏見があって『GKって楽しくない』と思ってたんです。父親は尊敬していたのですが、GKに魅力を感じなかったんです」
だがユース昇格を果たせず、厳しい現実を目の当たりにした黛也は、中3の終わりに決断を下した。ここしか自分が選手として生き残っていく道がない。ここで決断をしないと、子供の頃から目標だった父と同じプロサッカー選手になる可能性も大きく減ってしまう。
当然、彼の頭の中には父と同じポジションになることで、より父親が自分の比較対象となり、今まで以上に“前川和也の息子”と呼ばれることになることは十分に理解をしていた。しかし、もうそんなことを言っている時間はない。「言われることは仕方がないと思っていたし、当時は本当に自分のことで精一杯だった」と、GK転身を決めた。
父・和也は息子の決断を黙って見守っていた。
この決断を父・和也は黙って見守っていたという。
「黛也が壁にぶつかっていたことは分かっていた。“どういう決断をするのかな”と見ていました。本人がやりたいところをやらせてあげようという気持ちだった」(和也)
彼はGK転身を決意した。そして、これまで歩んで来たサンフレッチェ広島の下部組織を離れ、新たなポジション、新たな環境でリスタートを切ることになった。地元の強豪校である広島皆実高校に進学が決まった黛也は、すぐに行動に移した。GKとしての大先輩であり、現役の指導者でもある父親への練習志願だった。
「僕にGKとしての基礎を教えて欲しい」
そう黛也から言われた和也は、彼の覚悟を固めた目を見た。
「本人の意欲を感じたし、彼なりにしっかりと考えているなと思った」
ここから本格的な“親子鷹”がスタートした。和也は当時から現職でもあるFCバイエルン常石の指導者を務めており、クラブがある福山市に単身赴任をしていた。毎週月曜日がオフで、その度に家族の待つ広島市に帰って来る生活を送っていた。この毎週月曜日はGK練習の時間となり、近所にある公園の一角で、黛也の1つ年下の弟と3人で黙々と練習に打ち込む日々が始まった。
「僕はもう全くの素人状態で、GKとしての下地が何も出来ていなかった。なので、とにかく前を向いて、吸収出来るものはどんどん吸収して行くしか道がなかった」
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2: サムライ24時 2016/12/22(木) 19:55:24.05 ID:CAP_USER9
怪我だらけで万全とは程遠い状態だったが。
公園には少しだけ雑草が生えている一角があった。そこで黙々と繰り広げられる基礎練習。そこには必死で前に進もうとする黛也と、それを温かくも厳しく受け入れる和也の姿があった。
だが高校に入ってからも、さらに身長は伸び続けた。結果、中学時代に苦しめられた怪我が、ここでも黛也に容赦なく襲いかかった。
「高校ではいろんな壁に当たって、本当に苦しかった。足首、グローインペイン、ヘルニアなど、怪我を頻繁にしてしまいました。特に高2は手の怪我とヘルニアが一気に来て、ほぼ1年、万全な状態でやれていませんでした」
だが、彼は絶対に諦めなかった。週1の親子練習は継続し、GKとしての基礎的な身体の向き、考え方、状況判断などを吸収し続けた。そして、苦しむ彼を支え続けたのは、父の言葉だった。
「息子には『気長に考えた方がいい』と言いました」
「黛也はずっと“プロになりたい”と言っていた。じゃあ、そう考えているんだったら、焦ってはいけない。彼には“気長に考えた方が良い”と言いました。もし高校3年間でプロになれなくても、大学の4年間でさらにしっかりと積み上げて、そこからプロへの扉を開けば良いんです。“怪我などで落ち込むよりは、それをしっかり治して、次からはどういう形で自分が成長をして行くための土台を作り上げて行けるか。焦らずに、地道に積み上げて行く作業をきっちりとやった方が良い”と言い続けました」
この言葉に黛也も「僕はもう謙虚にやるしかなかったし、そういう考え方もあるんだと思った。少し楽になれました」と、父の言葉を受け入れ、必死で土台を積み重ねた。高3の終わりにようやくレギュラーを掴んだが、最後の高校選手権は県予選で敗れ、全国大会に出場出来なかった。
“前川和也の息子”でありながら、ほぼ3年間レギュラーを獲りきれなかった。この現実に「“前川和也の息子、全然試合に出れていないな”と言われましたけど、もうそういうのは受け入れる覚悟は出来ていたし、とにかく自分の将来に向けて精一杯でした」と、父親の言葉を胸に、気持ちがぶれることはなかった。
関西大で試合に出場し始め、自信も急激についた。
高校卒業時に唯一誘いをくれた関西大学に進んでからも、着実に将来を見据えて積み重ねを怠らなかった。
「大学に入って最初に掲げた目標は試合に出ること。そこから全日本大学選抜に入り、プロになることを大学での最終目標にしました。1年の時はJユース上がりのGKが沢山いて、能力的にも上だった。でも下手なりに先輩達から学んで、1年のときはベンチ入りも出来なかったのですが、凄くいろんなことを吸収出来た。2年生から試合に出られるようになって、自信が積み重なっていきました」
大学に入るとようやく身体の成長も止まり、心と身体、感覚のバランスが噛み合って来たことで、彼の成長速度は急速に早まった。
「高さはあったので、ポジショニングとステップワークはさらに意識して取り組んだ。ある程度コースを消すことが出来れば、それなりに反応で止めることが出来るので、そのアプローチはこだわりましたし、自信があります」
この言葉通り、全日本大学選抜、ユニバーシアード代表(2015年、韓国光州大会で3位)で活躍し、今年、ヴィッセル神戸入団が内定し、彼が大学入学時に掲げた目標をすべて達成した。
そして、迎えた大学最後の大会である第65回全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)。関西第4代表として出場した関西大は、初戦から黛也のスーパーセーブや安定感抜群の空中戦、守備範囲の広さに支えられ、東海学園大学、鹿屋体育大学を下した。
筑波大との準々決勝でも、彼はビッグセーブを見せた。しかし、終盤に2点を奪われ、1-2の敗戦。彼の大学サッカーは幕を閉じた。
それでも、次の舞台はJリーグ。神戸で研鑽を積む日々がやって来る。
「自分の一番の武器は“吸収力”だと思っています。GKとしてしんどいことばかりでしたが、中3の終わりから始めて、これまで日々成長をしていると実感出来るので本当に楽しい。そこは他の人にないものだと思っています」
プロ入りの時も、父は黛也の決断に口を出さなかった。それはこれまで彼が歩んで来た道のりを誰よりも間近で見て来たからだ。
「何事もチャレンジをして行くにあたって、失敗はいっぱいある。その失敗があってこその“気付き”なんです。失敗をして、それを振り返って、自分と向き合って、じゃあ次どうするべきか考える。工夫を重ねて、謙虚になる。向上心を持つ。こうすることで人は成長して行く。黛也はそこを理解して着実に積み重ねられていると思う」
公園には少しだけ雑草が生えている一角があった。そこで黙々と繰り広げられる基礎練習。そこには必死で前に進もうとする黛也と、それを温かくも厳しく受け入れる和也の姿があった。
だが高校に入ってからも、さらに身長は伸び続けた。結果、中学時代に苦しめられた怪我が、ここでも黛也に容赦なく襲いかかった。
「高校ではいろんな壁に当たって、本当に苦しかった。足首、グローインペイン、ヘルニアなど、怪我を頻繁にしてしまいました。特に高2は手の怪我とヘルニアが一気に来て、ほぼ1年、万全な状態でやれていませんでした」
だが、彼は絶対に諦めなかった。週1の親子練習は継続し、GKとしての基礎的な身体の向き、考え方、状況判断などを吸収し続けた。そして、苦しむ彼を支え続けたのは、父の言葉だった。
「息子には『気長に考えた方がいい』と言いました」
「黛也はずっと“プロになりたい”と言っていた。じゃあ、そう考えているんだったら、焦ってはいけない。彼には“気長に考えた方が良い”と言いました。もし高校3年間でプロになれなくても、大学の4年間でさらにしっかりと積み上げて、そこからプロへの扉を開けば良いんです。“怪我などで落ち込むよりは、それをしっかり治して、次からはどういう形で自分が成長をして行くための土台を作り上げて行けるか。焦らずに、地道に積み上げて行く作業をきっちりとやった方が良い”と言い続けました」
この言葉に黛也も「僕はもう謙虚にやるしかなかったし、そういう考え方もあるんだと思った。少し楽になれました」と、父の言葉を受け入れ、必死で土台を積み重ねた。高3の終わりにようやくレギュラーを掴んだが、最後の高校選手権は県予選で敗れ、全国大会に出場出来なかった。
“前川和也の息子”でありながら、ほぼ3年間レギュラーを獲りきれなかった。この現実に「“前川和也の息子、全然試合に出れていないな”と言われましたけど、もうそういうのは受け入れる覚悟は出来ていたし、とにかく自分の将来に向けて精一杯でした」と、父親の言葉を胸に、気持ちがぶれることはなかった。
関西大で試合に出場し始め、自信も急激についた。
高校卒業時に唯一誘いをくれた関西大学に進んでからも、着実に将来を見据えて積み重ねを怠らなかった。
「大学に入って最初に掲げた目標は試合に出ること。そこから全日本大学選抜に入り、プロになることを大学での最終目標にしました。1年の時はJユース上がりのGKが沢山いて、能力的にも上だった。でも下手なりに先輩達から学んで、1年のときはベンチ入りも出来なかったのですが、凄くいろんなことを吸収出来た。2年生から試合に出られるようになって、自信が積み重なっていきました」
大学に入るとようやく身体の成長も止まり、心と身体、感覚のバランスが噛み合って来たことで、彼の成長速度は急速に早まった。
「高さはあったので、ポジショニングとステップワークはさらに意識して取り組んだ。ある程度コースを消すことが出来れば、それなりに反応で止めることが出来るので、そのアプローチはこだわりましたし、自信があります」
この言葉通り、全日本大学選抜、ユニバーシアード代表(2015年、韓国光州大会で3位)で活躍し、今年、ヴィッセル神戸入団が内定し、彼が大学入学時に掲げた目標をすべて達成した。
そして、迎えた大学最後の大会である第65回全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)。関西第4代表として出場した関西大は、初戦から黛也のスーパーセーブや安定感抜群の空中戦、守備範囲の広さに支えられ、東海学園大学、鹿屋体育大学を下した。
筑波大との準々決勝でも、彼はビッグセーブを見せた。しかし、終盤に2点を奪われ、1-2の敗戦。彼の大学サッカーは幕を閉じた。
それでも、次の舞台はJリーグ。神戸で研鑽を積む日々がやって来る。
「自分の一番の武器は“吸収力”だと思っています。GKとしてしんどいことばかりでしたが、中3の終わりから始めて、これまで日々成長をしていると実感出来るので本当に楽しい。そこは他の人にないものだと思っています」
プロ入りの時も、父は黛也の決断に口を出さなかった。それはこれまで彼が歩んで来た道のりを誰よりも間近で見て来たからだ。
「何事もチャレンジをして行くにあたって、失敗はいっぱいある。その失敗があってこその“気付き”なんです。失敗をして、それを振り返って、自分と向き合って、じゃあ次どうするべきか考える。工夫を重ねて、謙虚になる。向上心を持つ。こうすることで人は成長して行く。黛也はそこを理解して着実に積み重ねられていると思う」
3: サムライ24時 2016/12/22(木) 19:55:46.06 ID:CAP_USER9
「父を越す」ため、日本代表入りを目指す。
息子の成長を肌で感じた和也は、自分と同じステージに立つ黛也にこう伝えたという。
「サッカー人生は“あっという間”だから、悔いが残らないようにやって欲しい。高卒でプロになった選手はもう4年間その世界で経験を積んでいる。大学4年間で成長は出来たと思うけど、既にプロとしての4年間は消費されていると考えた方がいい。だからこそ、よりあっという間だから、1日1日大事にして欲しいし、短いプロ生活だからこそ、ある程度張りつめてやらないと成功しないし、生き残っていけないよ」
再びもらった父の言葉。前川黛也は次なる目標を立て、コツコツと積み上げていく覚悟を固めた。
「神戸でも周りから吸収をして、まずは試合に出ること。そして活躍をして、将来的には日の丸を背負って、日本代表として戦いたい気持ちは十分にあります。まずそこに入って行かないと父を越すことは出来ないので」
心から尊敬する父を越えたい。前川黛也は自分の運命を受け入れ、まっすぐに、そして着実に積み重ねている。それはこれからも変わらない。父からの心に刺さる言葉がある限り。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161222-00827124-number-socc&p=5
息子の成長を肌で感じた和也は、自分と同じステージに立つ黛也にこう伝えたという。
「サッカー人生は“あっという間”だから、悔いが残らないようにやって欲しい。高卒でプロになった選手はもう4年間その世界で経験を積んでいる。大学4年間で成長は出来たと思うけど、既にプロとしての4年間は消費されていると考えた方がいい。だからこそ、よりあっという間だから、1日1日大事にして欲しいし、短いプロ生活だからこそ、ある程度張りつめてやらないと成功しないし、生き残っていけないよ」
再びもらった父の言葉。前川黛也は次なる目標を立て、コツコツと積み上げていく覚悟を固めた。
「神戸でも周りから吸収をして、まずは試合に出ること。そして活躍をして、将来的には日の丸を背負って、日本代表として戦いたい気持ちは十分にあります。まずそこに入って行かないと父を越すことは出来ないので」
心から尊敬する父を越えたい。前川黛也は自分の運命を受け入れ、まっすぐに、そして着実に積み重ねている。それはこれからも変わらない。父からの心に刺さる言葉がある限り。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161222-00827124-number-socc&p=5
4: サムライ24時 2016/12/22(木) 19:56:51.95 ID:OX/om9xF0
CFかCBやれば良いのに
6: サムライ24時 2016/12/22(木) 19:57:29.07 ID:XT1ExB3K0
身長191cmとはかなり有望だな
7: サムライ24時 2016/12/22(木) 19:59:15.84 ID:Gj9b8R3b0
前川の息子か
10: サムライ24時 2016/12/22(木) 20:02:00.44 ID:pmytvMbl0
前川は体つきがモサモサした柔道選手っぽい顔と体つきだったからどうもどんくさいイメージしかない
似たような体型のシュマイケルは俊敏さが売りだったのに
似たような体型のシュマイケルは俊敏さが売りだったのに
11: サムライ24時 2016/12/22(木) 20:03:12.26 ID:fFTwBhzu0
小見や都並や高木の息子を見てると悲しくなる
15: サムライ24時 2016/12/22(木) 20:04:16.33 ID:8LOLwvsU0
前川の息子なら足元あやういな。
19: サムライ24時 2016/12/22(木) 20:06:22.71 ID:pmytvMbl0
>>15
高校入るまでフィールドプレーヤーだぞ
ユースには上がれなかったらしいからそんな大したもんじゃねーだろうけど
高校入るまでフィールドプレーヤーだぞ
ユースには上がれなかったらしいからそんな大したもんじゃねーだろうけど
51: サムライ24時 2016/12/22(木) 21:37:55.14 ID:26ANzoFj0
>>15
フィールドプレーヤーからの転向だから、足元は上手いはず。
フィールドプレーヤーからの転向だから、足元は上手いはず。
17: サムライ24時 2016/12/22(木) 20:05:50.39 ID:VQ5zZ+Qf0
フィールドプレイヤーからGK転向は、結構いいことだと思う。
足元優れたGKに育ってる人も多いし
足元優れたGKに育ってる人も多いし
18: サムライ24時 2016/12/22(木) 20:05:57.23 ID:ehjtOi2Y0
最近190越えてるキーパー増えてきたな
20: サムライ24時 2016/12/22(木) 20:06:40.85 ID:eHnI/KYq0
前川は絶望的に足元、キック下手だったなあ
23: サムライ24時 2016/12/22(木) 20:09:35.08 ID:cEMSpSJq0
体格いいからポジショニングを徹底的勉強して安定型のGKを目指して欲しい
24: サムライ24時 2016/12/22(木) 20:10:03.66 ID:NSrpu/wV0
アジアカップで中国人の頭蹴って一発レッド貰った松永の代わりに出場してトンネル
決勝戦はサウジを完封
決勝戦はサウジを完封
27: サムライ24時 2016/12/22(木) 20:12:16.84 ID:eHnI/KYq0
>>24
決勝前にセーブ練習する前川に最後まで付き合って励ましたのがラモス
決勝前にセーブ練習する前川に最後まで付き合って励ましたのがラモス
32: サムライ24時 2016/12/22(木) 20:17:36.27 ID:sRI++LBM0
>>24
ハッサン二世国王杯で西澤の鮮やかボレーでフランスと引き分けたPK戦で、
全部蹴る前に動いて負けたのも前川
ハッサン二世国王杯で西澤の鮮やかボレーでフランスと引き分けたPK戦で、
全部蹴る前に動いて負けたのも前川
28: サムライ24時 2016/12/22(木) 20:13:23.30 ID:Ser0ebr30
高木、前川、森保みんな指導者なんだな
36: サムライ24時 2016/12/22(木) 20:25:56.43 ID:i76hnPTS0
>>28
風間、森山、片野坂も入れてあげて
風間、森山、片野坂も入れてあげて
29: サムライ24時 2016/12/22(木) 20:13:42.24 ID:/XttuS+P0
アジアカップの印象が強過ぎて
37: サムライ24時 2016/12/22(木) 20:26:35.23 ID:eHnI/KYq0
前川のセーブ力で足元うまいと面白いな
38: サムライ24時 2016/12/22(木) 20:34:42.44 ID:6lHRo8x20
>国際Aマッチ17試合出場
もっと出てるイメージだった
それでも17試合って凄いけど
もっと出てるイメージだった
それでも17試合って凄いけど
39: サムライ24時 2016/12/22(木) 20:39:38.61 ID:bGQJ97Qx0
>>38
松永が正GKだったからな
けど、前川はプレミアに研修行った時にどっかから誘われたんじゃなかったか
松永が正GKだったからな
けど、前川はプレミアに研修行った時にどっかから誘われたんじゃなかったか
42: サムライ24時 2016/12/22(木) 20:46:19.27 ID:uz9kBIw30
ほぅ
才能もあったけど、こういう長期的な教育ができる人がいたからプロレベルになれたんだな
GKの教育はこうあるべきじゃね?
才能もあったけど、こういう長期的な教育ができる人がいたからプロレベルになれたんだな
GKの教育はこうあるべきじゃね?
49: サムライ24時 2016/12/22(木) 21:18:37.52 ID:+WA4L/Zi0
神戸じゃ厳しいだろ
54: サムライ24時 2016/12/22(木) 21:40:47.96 ID:NpdHhjZa0
前川と言えばウェンブリーでのイングランド戦
56: サムライ24時 2016/12/22(木) 21:42:58.47 ID:aJHePSCj0
後、生ダラで憲武にPKで負けて高木と一緒に丸刈りにされたくらいかw
57: サムライ24時 2016/12/22(木) 21:43:02.54 ID:XAO75zGy0
前川和也おーおーおー
前川和也おーおおおーだったか
前川和也おーおおおーだったか
52: サムライ24時 2016/12/22(木) 21:39:27.86 ID:aJHePSCj0
親父はアジアカップやユベントス戦の92年しか代表で見た記憶がない
それ以降のドーハの悲劇やチャンピオンカップみたいな大舞台は
いつも怪我している印象だから息子には頑張ってほしいな
それ以降のドーハの悲劇やチャンピオンカップみたいな大舞台は
いつも怪我している印象だから息子には頑張ってほしいな
引用元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1482404082/
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