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宇佐美に父のカツ「お前はJ2を渡り歩く選手か」
http://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/1491562.html
 宇佐美のW杯への挑戦は、ある一言から始まった。「お前はJ2を渡り歩く選手になるんか!」。13年夏、当時所属のホッフェンハイム(ドイツ)から日本へ戻ることになった。帰国した関西空港で、宇佐美は和彦さんから大声で叱られた。順風満帆だったサッカー人生から、現実を突きつけられたドイツ時代。当時J2だったG大阪への復帰は、再び世界を目指すには、厳しいものだった。

 和彦さんは、当時を昨日のことのように振り返る。「ホッフェンハイム戦力外のニュースを携帯で見た時、手が震えた。まさか、あいつが…と」。複雑な思いを全てぶつけてしまった。しかし、宇佐美の決意は固かった。「俺は(古巣G大阪を)J1に上げるつもりで帰ってきたんや」。J2で成長を重ねた。12年のW杯最終予選はピッチを見つめるだけだったが、今度は自分の力でロシアへ導く。

 産声を上げたその時から人生は決まっていた。3人兄弟の末っ子として生まれた。2人の兄にかわいがられ成長し、生後8カ月、歩き始めたと同時に、お気に入りの「黄色と黒のボール」を蹴り始めた。

 しかし、布おむつが重く、擦れてうまく蹴れない。話すことができない宇佐美は、兄のブリーフパンツを指さし「これがはきたい」と駄々をこねた。「サッカーのおかげですぐにおむつが取れた」という和彦さんは「この子はサッカーでプロになる。海外に行く」と感じたという。

 不自由なくサッカーをさせるためなら、大きな決意も簡単にできた。宇佐美が小6時、全国大会へ出場が決定した。ちょうど同じ頃、長男卓也さん(28)もインターハイへ出場することとなった。3人兄弟でひと夏、計10回以上の遠征。家計は一気に圧迫された。愛車「トヨタbB」の約180万残っていたローン返済もできなくなった。結局は愛車を売却した。

 手元には5万円ほどしか残らなかったが「少しでも足しになれば」と、日本一へ挑戦する息子たちの遠征費に充てた。「サッカーのために出て行くお金は苦じゃなかった。だから、苦労したという感覚はない」。子どもの夢を絶ちたくなかった。宇佐美自身にも響いていた。「親が車を売ってまで支えてくれてたのは、小さかったけど分かっていた」。あの時の少年も、23歳。挑戦する時が来た。【取材・構成=小杉舞】

[2015年6月13日7時24分 紙面から]
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