1: 名無しのSamurai
前園真聖が語る「本田圭佑と中田英寿との違い」
http://news.livedoor.com/article/detail/9033730/
「すごく努力してきたと思いますよ。ここまで来るのに」

 それが、前園真聖氏の第一声だった。引退からおよそ10年。自分と入れ替わるように現れた本田圭佑を、ピッチの外からつぶさに見つめてきたからこそ、その成長ぶりには目を見張るものがあるようだ。

「本田はもともとすごくテクニックがあるわけでもないし、スピードもありませんでした。2008年北京五輪のときもチームの"駒"のひとつという感じで、特別な選手ではなかった。しかも結果は3連敗(0-1アメリカ、1-2ナイジェリア、0-1オランダ)。本田だけではありませんが、あの大会では世界を相手にまったく歯が立ちませんでした。

 でも、オランダ(VVVフェンロ)でプレイするうちに、彼は大きく変わりました。一番はやはり、ゴールへの意識が強くなったこと。ゴールを決めるためにドリブルで仕掛けていくようになった。それまでは周りを使うプレイが中心で、自分で突破していく場面はそれほど見られませんでしたから。

 そんなふうに自ら仕掛けていくためには、相手に走り勝たなければいけません。そのために本田は、相当なトレーニングを積んだはずです。そうしてスピードが上がり、当たり負けしない身体の強さを手に入れたことで、彼のプレイの幅がとても広がりました。それでも、2010年の南アフリカW杯を迎える時点では、まだ日本代表の中心というような存在ではありませんでした。あのときの代表は"中村俊輔のチーム"でしたからね。

 ところが、大会直前の戦術変更で本田が抜擢されることになった。そして、初戦のカメルーン戦(1-0)でゴールを決めるわけです。このことをラッキーだと思う人もいるかもしれませんが、僕はそうは思いません。だって普通はできませんよ。それまでやったことのない1トップを突然「やれ」と言われてできるものじゃない。

[中略]

「中田英寿」の名前を前園氏が口にしたのは、そんなふうに本田の影響力について語っているときだった。「チームの中での存在感と、発言が注目されるという意味ではヒデと似ているかもしれませんね」と。

 しかし、「立ち位置は似ていますが、でも......」と話は続く。

「ある時期まで本田はヒデを意識していたと思います。チームの中でのポジションの作り方とか、自分をプロデュースしていくやり方とか、ヒデに憧れていた面はあったと思う。

 でも、ロシア(CSKAモスクワ)でプレイするようになった頃から少し変わってきた。より明確なメッセージを発するようになったりして、ヒデとは別の"本田圭佑"を作り上げようとしているように、僕には見えました。

 そして、そんな本田を包む周囲もヒデの頃とは随分違っていました。ヒデは、チームの中でひとり突出していた。彼と同じ目線を持てる選手がいなかったということです。海外でプレイしている選手がいなかった僕らの時代はもちろん、ドイツW杯の頃でさえ、すでに海外組はいましたが、やっぱりヒデだけが特別だった。だから、ヒデの言葉に共感できる選手はほとんどいなかったはずです。ツネ(宮本恒靖)がそのギャップを埋めようとしていたけど、結局うまくいかず、チームもいい成績を残すことができなかった。
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