1: 名無しのSamurai
ザッケローニSAMURAI BLUE監督手記IL MIO GIAPPONE “私の日本”最終回「いつかまた、どこかで」
http://www.jfa.jp/samuraiblue/news/00001225/
いつか、この日が来ることは覚悟していましたが、現実に皆さんに別れを告げる日が来てみると、私の心は寂しさでいっぱいです。

寂しさの理由は二つあります。一つはワールドカップが残念な結果に終わったことです。ブラジル大会が始まる前は選手もスタッフも全員が素晴らしいワールドカップになる予感を抱いていました。そのポジティブな雰囲気をうまく大会で表現できなかった。これまで自分たちが積み上げてきたものを全て出し切ることなく大会を終えてしまった。その寂しさ、悔しさは言葉では言い表せないほどです。私と選手は、ワールドカップという貴重な機会を十分に生かせなかった事実を厳粛に受けとめています。なぜ、どうして、力をフルに発揮できなかったのか。私の場合、長いキャリアの中でそういう経験がないわけではありません。むしろサッカーとは常に自分たちの思うようにはいかないスポーツという認識を持っています。しっかり準備を整えた、自分たちはいい仕事をしている、そういう確信めいたものをチームに関わった全員が持っていながら、なぜか結果につながらない。チームにも個人にもサッカーではそういうことが時に起きるものです。その理由を「これだ」とシンプルに特定することは難しい。いろいろな要素が重なってうまくいかなかったのだと思っています。今も悔しさは晴れません。救いがあるとすれば、将来的につながるグループをこの4年間で形成できたと個人的には確信しています。サッカーのスタイルとしても、チームの年齢構成にしてもそういったことがいえると思います。今回参加したほとんどの選手は次のワールドカップも戦えるはずです。個人的にうれしかったのは、そういう私の仕事をしっかり理解してくれる人たちがいるということです。ブラジルから日本に戻ってきて、私と接する人々の温かい態度にそれは感じました。日本協会もこの4年間に積み上げたものをベースに、それをさらにブラッシュアップしていくと話してくれました。ワールドカップの10日間の出来が悪かったからといって、4年間積み重ねたすべてを消去するような考えを協会もサポーターの人たちも持っていない。それはすごくうれしいことでした。

胸に去来する寂しさのもう一つの理由は、大好きな日本、そして日本代表からついに離れるときがきたことです。日本での暮らしは想像以上に快適でした。誰に聞かれても「素晴らしい」と答えるしかないほど、すべての面で最高でした。暮らし始めてすぐに自分が快く迎え入れられていることに気づき、元気づけられました。初めての海外生活という新しい環境にこの年齢で飛び込んで円滑に仕事ができたのは、日本の皆さんの思いやりあふれる受容の精神のおかげだと断言できます。生活面でいいことが起きると仕事も自然とうまくいきます。一緒にコラボレートしてくれたスタッフもいい人たちばかりで、おかげで仕事がスムーズに運んだと思います。欧州で選手を視察し、海外で試合を行っても、日本が自分の帰るべき「家」になっていました。本当に濃密な4年間で、良い思い出だけがありすぎるくらいあります。日本の方々は老若男女を問わず、ずっと日本代表を声援してくれました。どんな苦境に陥っても「フォルツァ」「がんばりましょう」と言い続けてくれたことはすごく力になりました。特に埼玉スタジアムの試合の素晴らしい雰囲気は最高の思い出ですね。埼玉スタジアムのホームの雰囲気は欧州のどこにも負けないと思います。日本の文化が反映された日々の生活はあまりにも心地よく、快適な日本の暮らしに慣れてしまったことで今後のことがかえって不安になっているくらいです。この4年で自分の半分は、いや、半分以上は日本人になった気がするくらいで、日本以外での暮らしに馴染めるかどうか心配になっているのです。おそらく、日本人の血が私の体のどこかに流れてしまっているのでしょう。今はイタリアの故郷に戻っていますが、ここでの暮らしにですらアジャストできるのか不安でなりません。

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